関西100名山 楊柳山
2009年1月19日 高野山・奥の院をぐるりと囲む高野三山を歩きました。摩尼山(まにさん)、楊柳山(ようりゅうざん)、転軸山(てんじくさん)明治5年まで、高野山は女人禁制でした。女性信者は、奥の院の弘法大師廟を拝むために、高野七口を結ぶ女人道を巡った。この高野三山は、女人道を歩くことになる。 最高峰は、楊柳山。
 関西100名山。 1008m
楊柳山(ようりゅうざん)・山頂 11:49

 御廟付近の奥の院林道にある登山口から登り始める。 摩尼道が凍っているので、アイゼン着用する。小谷に沿って大きな杉が林立する中を登ると摩尼峠。 摩尼峠からは、尾根伝い。モミ・トガ・杉・桧・松・高野槙の高野六木が茂る原生林を歩き、急坂を登ると、摩尼山・山頂。 山頂祠前の石碑には、天保5年(1835年)の銘。
摩尼山・登山口 10:14 摩尼山・登山口。
ここから登っていきます 10:14
雪道につき、アイゼンを装着。 10:29 摩尼山への分岐。 案内板がしっかり 10:32
登山道横。
植林も苔むして、歴史を感じさせる 10:35
摩尼峠に到着 10:42
モミ・トガなどの高野六木が
茂る原始林を行く 10:43
倒木の上を、よいしょ・・と、
越える 10:45
ここからが、急坂の登り 10:55 またもや尾根に沿って、原始林を登る 10:59
摩尼山(まにさん)・山頂 1004m 11:03
摩尼山・山頂 (“火の用心、森の恵みを未来まで”
と書いてある) 11:04
摩尼山・山頂 11:04
木の間から、うすく楊柳山の尖った峰頭が見える
(摩尼山・山頂にて) 11:04
“天保5年(1835年)”の銘 11:07

摩尼山・山頂から黒河峠へ、一旦下る。 植林帯を登り下り。峠からは、植林帯の道を登っていく。自然林の茂る急坂を登りつめると・・・楊柳山・山頂! ここで、昼食!
摩尼山を下り、黒河(くろこ)峠に向う 11:11 右・広葉樹、左・植林帯の中、階段を登る 11:21
左・楊柳山の石碑。 左折 11:23 黒河峠(くろことうげ)に到着 11:30
黒河峠(くろことうげ)。
 “東摩尼山”と書かれている 11:30
植林帯を、黒河峠から
楊柳山に向う 11:31
ブッシュの効いた植林帯を、楊柳山に向う 11:33 山頂へ胸突き八丁の急坂を登る 11:46
急坂の途中、後ろを振り返る 11:48 山頂だぁ!! 11:49


楊柳山・山頂で休憩の後、尾根道を下っていき子継峠に。峠から南へ植林帯の間を、ひたすら下る。 広谷沿いにススキの原などの開けた高原となり、やがて車道に。車道をしばらく行くと、左へ小道。 杉木立の坂を登りつめると、転軸山。 これで三山縦走! 戻りは林道。
山頂のお堂 11:54 モミの木 (楊柳山・山頂にて) 11:54
山頂から、摩尼山方面を望む 12:04 山頂を過ぎ、子継峠へむかう 12:25
子継峠 (こつぎとうげ) 12:35 子継峠の子安地蔵尊 12:35
子継峠から、どんどん下り、
ススキの原・カラマツ林の高原に 12:47
ススキの原・カラマツ林の
高原を進む 12:53
奥の院裏道車道と出会う 13:00 車道と別れ、左へ登る 13:01
転軸山へは、深い杉木立を登っていく 13:13 転軸山・山頂にて 13:18

山上の聖地、奥の院参道を歩いて見たいと思っていました。あいにくと“一の橋”からの参道は、凍結と先日の雪による老杉倒木のために通行禁止。 途中の参道を少し歩いて見ました。“中の橋”からの参道は、企業墓地が多く、墓地公園のやすらぎを感じてきましたヨ。ケーブルカーは、(いつものように)子供になった気分で・・・。
奥の院参道マップ (一の橋にて) 8:46 司馬遼太郎の文学碑 (08年9月に建立) 8:50
薩摩・島津家墓所
(奥の院参道にて) 8:52
存在を主張している・・老杉大木
(奥の院参道にて) 8:54
先日の降雪で倒れている杉。
中は空洞だ (奥の院参道にて) 8:58
数取地蔵尊
(奥の院参道にて) 9:00
歴史に浸りながら、
奥の院参道を歩く 9:03
汗かき地蔵尊 
(奥の院参道歩きは、ここで中止) 9:10
ロケットがある、“新明和工業”墓地 9:16 バスで高野山駅へ 15:01

高野山・ケーブル車内から、下を見下ろす 15:05




高野山駅・ケーブル 15:03
ケーブルカーを降り、極楽坂駅で南海電車に
 15:20