2009年3月25日 奈良県・多武峰(とうのみね)連嶺最南端にある高取山(かたとりやま)に登りました。 高取山というよりは、《日本3大山城》といわれる、高取城址のあるところです。南北朝時代に築かれ、1500年頃に整備され、豊臣秀長の時代に近世城郭として築かれたという。明日香にも近くて、城へ登る途中にある“猿石”はじめ、石垣にも漆喰の跡があるなど、遺跡を使用しているふしがあると言われている。その山城の石垣には、規模・歴史に、圧倒されてしまいました。壺阪山駅〜土佐町なみ〜高取城址〜壺阪寺〜土佐町なみ〜壺阪山駅  584m
高取の山城。天守閣のあった山頂から、太鼓櫓を見下ろす 12:35

近鉄・壺阪山駅から、登山口へは、“土佐街道”を通っていきます。 6世紀はじめ、大和朝廷の都造りの労役で、土佐国から召し出され住み着いた人たちが、故里の名をつけたという。 3月1日〜31日までは、ちょうど有名な“町家のひなめぐり”の催しがあり、家々で飾られた雛人形を見ながら、楽しみ歩き。
近鉄・壺阪山(つぼさかやま)駅には、
観光ボランティアが 9:45
塀が続く道の入口に、観光マップ 9:50
人形が大好きな人が作って
保存されたもの 9:51
さすが、歴史ある漢方薬局店の
お雛さまは、すごい! 9:58
土佐街道の道には、漢方の
“花と効用”のタイル貼 10:02
昔ながらの医院
(下屋敷門である。残念ながら、本日休診) 10:03
児童公園・・
(門は、高取城にあった、松ノ門を復元) 10:46
白い漆喰が美しい・・長屋門
 (植村家) 10:48

土佐町なみを過ぎ、のどかな道を歩いていきます。  梅の花がきれいな砂防公園を過ぎると、杉林へ。  “七曲り”などの道を登って・・看板があったので、横道にそれ、岩屋不動を見物に・・もとの道に戻り、“一升坂”を登っていくと左手に、《猿石》(もとは、明日香遺跡にあったものと思われる)。
土佐まちなみを過ぎ、正面の高取山へ向う 10:56
きれいな梅の花が・・(砂防公園にて)  11:08 宗泉寺との分岐、左折し、山道に入る 11:19
『史跡・高取城跡』の石碑・・
道端に、次々と案内 11:22
『七曲り』・・坂を登っていく。
城址まで、1.5km 11:23
山道を登っていく。
 道の両側には、シダ 11:30
ここから『一升坂』。城改装の役夫に、
一升米を出して鼓舞したという 11:41
『岩屋不動』の看板あり。そちらに、寄り道 11:44 岩屋不動へ向って、登っていく 11:46
『岩屋不動』。 岩屋神社跡、不動・文殊・役の子角の
石像がある 11:48
岩屋不動から、もと来た道へ戻る。
 11:49
『猿石』・・明日香村の古墳から掘り出され、
築城の際、石垣石として使用されようとした?11:56
『猿石』・・説明 11:57

猿石を見て、どんどん登っていくと、行手に、《二の門》跡の石垣。  進んでいくと、途中に『右、国見櫓跡』の表示。横道に興味ありそこへ行くと、大和平野を一望に!かすんでいたものの、二上山、大和三山(畝傍山・天香具山・耳成山)は、くっきり。  もとの道に戻り、進むと、矢場門・・千早門・・大手門・・と、次々に、立派な門跡の石垣が現れた。昔は、さぞや立派だったのであろう。
高取城、“二の門”跡。 崩壊した石垣のそばを登っていく 11:58
杉林の向こうに、立派な
石垣が見える 12:02
“国見櫓”の看板があるので、
そこへ、寄り道を 12:04
国見櫓から、大和3山 (天香具山・耳成山・畝傍山)を望む 12:08
『国見櫓』から、大和平野を
展望する  12:06
矢場門跡の、苔むした石垣の
横を通り過ぎる 12:12
“宇陀門”跡へと、階段が続く 12:16 “宇陀門”跡 12:16
高取の山城・石垣。 千早門跡に入る 12:18
高取の山城・石垣。 大手門跡に入る 12:20
“大手門”跡
(明治20年代に壊される前の写真) 12:19
“十三間多門”跡 12:22
高取の山城・石垣。本丸の天守閣跡 12:26

本丸跡の広場に出る。 『巽(たつみ)高取、雪かと見れば、雪でござらぬ土佐の城』とうたわれ、芙蓉城とも言われた。 苔むした石垣が、歴史を思い起こさせる。 高取山山頂は、そのまま高取城本丸跡であり、三等三角点がある。 太鼓櫓跡に登り、昼食をとりながら、広場を見下ろしたのである。

天守閣の石垣。 重厚な歴史だぁ 12:28

杉古木の下の石碑・・『巽高取 雪とみれば 
雪でござらぬ 土佐の城』 12:28

苔むした石垣の、天守閣に向けて進む 12:28
天守閣下の広場、方位盤
(大和3山や、吉野山が書かれている) 12:30
天守閣の跡が、高取山・山頂
(三等三角点である) 12:34
高取の山城。太鼓櫓 12:37
高取の山城。太鼓櫓から、本丸の石垣を望む 13:15
高取の山城。太鼓櫓から、広場を見下ろす 13:24

 高取城址をあとにして下山。 良く整備された杉林を歩き、静かな大淀古道を歩いていくと、羅漢岩に出る。誰が彫ったのか・・、その念力が伝わってくるようである。そのまま進んでいくと、壺阪霊験記で有名な、壺阪寺。
“太鼓櫓”跡に登り、本丸下の
広場を見下ろす 13:19
壺阪寺方面に向って下りる。 
改めて、振りかえる 13:26
高取城址から壺阪口方面に
向って下りる。 13:26
道脇に、“短歌”
(高取城址から壺阪口方面に向って下りる) 13:26
きれいに手入れされた杉林の中を、
壺阪寺に向う 13:37
壺阪寺に向って、大淀古道を下っていく。
 のどか 13:45
五百羅漢遊歩道 13:55 『三尊弥陀』・『千像如来』など・・・
数多くの石彫! 14:03
壺阪の五百羅漢・羅漢岩 14:00
『五百羅漢』  ・・・すごい!彫った人の念力が
伝わるようだ 14:04
香高山・・と書いた石碑 14:08
五百羅漢から壺阪寺への道すがら、
遠くには二上山の山容が見える 14:10
壺阪寺への分岐 14:11
眼下に壺阪寺が現れた・・ 14:16

703年、元興寺の弁基上人が、この山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した像を刻んで祀ったのが始まりという。目の観音様として信仰を集めている 明治の頃、失明回復祈願にまつわる、沢市・お里の夫婦愛を描いた浄瑠璃『壺阪霊験記』が有名である。 ここでも、沢市・お里の浄瑠璃人形と一緒に、雛人形が飾られていましたヨ。
ぼんやりと・・大和三山が。
正面は、畝傍山 14:19
壺阪寺は、眼病に霊験。 
入口付近に、目薬の宣伝! 14:20
壺阪寺の雛人形 14:23
壺阪寺。 入口の大講堂付近から、三重塔などを見通す 14:27
壺阪寺の仁王門 14:29 仁王門で、仁王さんの下駄 (壺阪寺にて) 14:30
壺阪寺 仁王門から、多宝塔・三重塔などを見上げる 14:30
つぼみの桜の向こうに、インドからの壺阪大仏を見る
(壺阪寺にて) 14:31
灌頂堂横の馬酔木(あせび)の花は、
満開 14:33
浄瑠璃『壺阪霊験記』の、沢市・お里の像 14:36 インドから・・仏伝図レリーフ (壺阪寺にて) 14:45
“家内安全”・・鬼 (壺阪寺にて)  14:45 四国88ケ寺まいり 14:51
境内には、トサミズキ・サクラ・ユキヤナギ 等の
花が咲き誇る 14:52
大観音石像(インドで彫刻された) 14:55

“健脚祈願”・ジャンボわらじ 14:56
大涅槃石像と、大観音石像を拝む 15:03 インドで彫刻された・・大観音石像 14:57

奈良・漢方薬の販売で知られた高取町。 土佐街道の両側の家に雛人形を飾るという催し。 それぞれの“倉”から、引っ張りだされて来た人形達が、実に色々な顔を見せてくれました そのうちの幾つかを・・・・見てください。
土佐まちなみ・『ひなの里親館』にて 10:27
土佐町なみ・ひなまつり案内@ 昭和44年ごろの、手作り雛 9:53
電器店の店頭にも、お雛さま 9:54 このお家は、“貝合わせ”が、ずらり 10:01
額も立派。親子2代の、お雛さま 10:09 理髪店にも、お雛さま 10:16
いろいろな素材の、雛人形・・上品です 10:19 この家も、人形好きのようである 10:44
木格子の中に、雛人形 16:08 貧しい生活の中、贈ってもらったという・・
雛人形&2代雛 16:13
きれいな、紅白の花咲く向こうに、お雛様 16:16 これまた、変わり雛 16:16
『上をご覧下さい』・・2階に雛飾り 16:21 住宅建材店の店頭にも、雛飾り 16:27
“親になって、親のありがたさがわかった”とか・・
温かい雛人形です 16:43